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東京高等裁判所 平成元年(ネ)1811号 判決 1991年3月20日

控訴人 株式会社 関東銀行

右代表者代表取締役 亀井謙二

右訴訟代理人弁護士 岡野謙四郎

同 伊達昭

被控訴人 倉持好郷

右訴訟代理人弁護士 岡崎国吉

主文

一  原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

二  右部分についての被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係は、当審における主張として次のとおり付加するほか、原判決の事実摘示及び当審記録中の書証目録、証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

控訴人は、以下に述べるとおり、本件預金の払渡しについて、債権の準占有者である有限会社三友産業(以下「三友」という。)に対する弁済として免責されるべきである。

1  本件預金の預入れは、通常の金員寄託の利益を得ることを目的としたものではなく、被控訴人において、三友ないしその代表者である大塚利雄(以下「大塚」という。)からの依頼に応じ、三友の控訴人に対する信用の詐取に協力を約し、そのために殊更、記名式預金である本件預金の名義人を三友とし、三友自身の出捐による預金であるかのように共謀仮装する一方、被控訴人自らの存在を秘匿して行われたものである。このため、控訴人は、本件預金が三友自身の出捐による預金であると誤信させられ、これに疑いを容れる余地のない立場に置かれたものである。

2  無権利者に対して預金の払渡しをした場合において、この者が預金証書と届出印鑑を所持していないときであっても、この者が預金者であると信ずるに足りる客観的事情があり、それが金融機関に対し預金証書等の所持と同程度の確実さをもって預金債権の帰属を推測させるものであるときには、この者をもって預金債権の準占有者として取り扱い、これに対する払渡しが免責されることが認められるべきである。本件において、控訴人は、出捐者である被控訴人自身が外観の作出に協力・加担したことにより、三友を預金者であると信じて通知預金取引を開始し、原判決認定のような経緯で本件預金の払渡しをしたものであるところ、この間、被控訴人は全く姿を見せず、控訴人としては、手の込んだ巧妙な詐欺事件の被害者として右の払渡しを余儀なくされたものであって、悪意はもとより、金融機関として尽くすべき注意義務の懈怠も存しなかったといわなければならない。ちなみに、本件預金は流動性の高い通知預金であるから、その払渡しに当たっての注意義務は、定期預金の中途解約などの場合に比べて低いことも考慮されてしかるべきである。

3  また、本件預金の払渡しは、前記のとおり控訴人において預金者と信じていた三友の代表者である大塚から、三友の振り出した小切手の不渡り回避を理由とする緊急の依頼があったため、やむを得ず預金証書と届出印鑑の提示なしに行われたものである。一般に、当座取引先からこのような理由に基づく便宜払いの申出があれば、取引先が金融機関に資金(通知預金)を有していながら取引停止処分を受け、更には倒産する、という非常識な事態が生じるのを避けるため、貸付債権を有しているなどの特別の事情の存しない限り、いかなる金融機関であってもこれに応じざるを得ないものであり、控訴人としては、三友が本件預金の真実の預金者であると誤信させられていた以上、この間の処置について非難されるべきいわれはない。

4  金融機関は、便宜払いの申出を受けた場合、これまで預金者として扱ってきた者自身と接触するなどして、便宜払いの必要性を確かめる一方、預金者本人の意思に基づく申出であることにつき不審な点がないかどうかを調査し、そのような懸念がないときは本人の意思に基づく申出があったものとして便宜払いに応じ、何か不審な点があったときは、申出が本人の意思に基づかない可能性があるので、更に調査を進める結果、事実上便宜払いの申出に応じていないのが実情である。便宜払いの手続における預金者本人の確認方法としては右以外になく、本件のように、預金者側が、故意に出捐者を秘匿して他人名義で預金をし、金融機関を錯誤に陥れたような場合には、右の預金名義人との関係で接触・調査が行われれば、金融機関としての注意義務は果たされたものというべきである。更に、本件においては、控訴人の担当者石崎義男(以下「石崎」という。)は、かねて大塚とは単なる面識以上の接触があったものであるところ、便宜払いの申出を受け、右大塚と直接電話で応対したほか、三友関係者から種々十分な事情聴取を行い、その結果、三友からの申出を預金者本人の意思に基づくものであると判断し、その緊急の必要に応えるべく便宜払いの決定を行ったものであり、また、本件預金は確かに申出人の三友に対して支払われているものであるから、控訴人の注意義務は完全に尽くされているのである。

5  他方、被控訴人側の帰責事由を見ると、前記のとおり、被控訴人は、三友と共謀の上、三友が本件預金の預金者として振る舞うことを許容し、そのような外観を自ら積極的に作出して控訴人を錯誤に陥らせ、その注意義務の遵守を危うくさせたものであるが、このような場合には、衡平上あるいはクリーンハンドの原則に照らし、控訴人の免責救済を否定して被控訴人を保護する理由は存しないと考えられる。

二  被控訴人の主張

本件預金の払渡しが債権の準占有者に対する弁済に当たるとの控訴人の主張は争う。

1  金融機関は、預金を受け入れるに当たっていちいち出捐者がだれであるかを詮索しないのが実情であり、また、その権利も義務も有しない。したがって、本件預金の出捐者が三友であるとの控訴人の誤信は、それ自体何ら法的保護の対象になるものではない。また、そもそも預金者の認定は、だれが預入行為をしたかを基準として行われるべきものではなく、控訴人の主張は、三友が預入行為をし、あるいは、これが預金名義人になっているから預金者は三友であると信じた、というものにすぎず、銀行取引の実情を無視した主張である。

2  本件預金の払渡しに際し、控訴人の担当者は、預金証書も届出印鑑も提示されていないのにかかわらず、大塚の申出を安易に信じ、その要求するまま払渡しに応じている。そして、控訴人は、本来であれば、このような払渡しを行った場合の処理として、預金証書及び届出印鑑の喪失届を提出させ、かつ、預金証書の再発行及び改印の手続をとらせるべきであったにもかかわらず、これを行っていない(そのほか、本件預金の印鑑票に押捺されている届出印は不鮮明であり、これにより印影の同一性を判定することは不可能であるが、控訴人の事務処理は、このように、金融機関にあるまじき極めて杜撰なものである。)。

また、被控訴人の経営する会社の準社員である木沢伸夫(以下「木沢」という。)は、本件預金の預入手続を含めて三回にわたり、大塚に同行して控訴人水戸支店に赴いているから、当時、控訴人は三友以外の者が預金証書と届出印鑑とを所持している事実を容易に窺い知ることができたはずである。更に、控訴人と三友とは、永年にわたる熟知の間柄ではなく、本件預金の払渡し当時、昭和五九年二月七日の取引開始からわずか一か月余り取引関係があったものにすぎない。

右の事情からすると、本件預金の払渡しは、いわゆる便宜払いとして金融機関自身の危険負担の下に行われたものにほかならず、債権の準占有者に対する弁済として被控訴人に対抗することのできるものでないことは明らかである。

3  更に、便宜払いの手続として見ても、前記のとおり、このような払渡しに伴う形式的な手続の履践がなされていないし、控訴人の担当者である石崎は、大塚からの電話による便宜払いの申出に対し、折り返し電話によって大塚がその申述どおり酒田市にいることの確認を取っておらず(大塚は、実際には、酒田市に出張していたのではなく、水戸にいた。)、単に電話の声により大塚本人であることを確認したというにすぎない。また、控訴人提出の特殊扱承認簿によれば、控訴人銀行においては、これまで本件以外に預金証書と届出印鑑の双方の提示がないのに預金の払渡しに応じたという例はなく、しかも、便宜払いが認められたのはほとんどが信用の大きい官公署等から申出があった場合であって、三友のように控訴人との取引開始後わずか一か月余りというような例は他に存しない。

理由

一  原判決理由一項及び二項1に説示するところは、次のとおり付加、訂正するほか、当裁判所の認定判断と同一であるから、これを引用する。

1  原判決三枚目表一〇行目及び同四枚目裏七行目の各「原告本人尋問の結果」を「原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果」と改める。

2  原判決四枚目表五行目の「大塚」を「三友」と、同五、六行目の「原告が出捐者である旨主張し」を「三友が出捐者である旨主張し」と、同七行目の「本件預金」を「本件預金証書」と、同一〇行目の「原告、被告間」を「被控訴人、三友間」と、それぞれ改める。

3  原判決五枚目表二行目の「原告は、前記のような信用の仮装を目的とした預金の依頼を受け、」の次に「三友が自らの出捐に係る金員としてその名義で預金をすることを了承し(ちなみに、被控訴人が、大塚に対し、導入預金ということではなかなか融資が受けられないのではないかと話したところ、大塚は、取引によってできた金ということで預金をする旨述べている。)、」を加える。

4  原判決五枚目表一〇行目の「昭和五九年三月八日」を「昭和五九年三月二一日」と、同一〇、一一行目の「小切手帳四冊」を「手形帳三冊、小切手帳二冊」と、それぞれ改める。

5  原判決五枚目裏七行目末尾に「被控訴人は、本件預金についても同様に、三友が自らの出捐に係る金員としてその名義で預金をすることを了承していた。そして、大塚は、かねてより、控訴人の担当者に対し、近いうちに東京コカコーラから受注があり、五〇〇〇万円くらいの前渡金をもらう予定なので、入金があったら預金をする旨を申し向けていたため、控訴人の担当者は、本件預金に係る金員は三友が取引により得たものであると信じていた。」を加える。

6  原判決五枚目裏八、九行目、同六枚目表初行及び同九行目の各「小切手」を「手形・小切手」と、同五枚目裏一〇行目の「同日再び来店し」を「同日、手形・小切手の決済時間近くになって再び来店し」と、それぞれ改める。

7  原判決六枚目表四、五行目の「三友が本件預金を有しながら不渡り、倒産というような事態に到った場合」の次に「(控訴人の担当者が調査・確認したところ、同日現在における三友の当座預金残高は約四万五〇〇〇円にすぎず、したがって、大塚らの述べるとおり、右当座預金への入金がなければ、同日決済予定の額面合計金三六五万円の手形・小切手二通は不渡りとならざるを得ない状況にあった。)」を、同六行目の「考えて、」の次に「後日、本件預金証書等の提出による手続の追完をすることを条件として、」を、それぞれ加える。

8  原判決六枚目裏初行の「焼却したして」を「焼却したとして、同月上旬ころ」と、同三行目及び同四、五行目の各「小切手決済資金」を「手形・小切手決済資金」と、それぞれ改める。

二  そこで、右の事実に基づき、本件預金の払渡しについて民法九四条二項が類推適用され、又はこれが債権の準占有者に対する弁済に当たる、との控訴人の主張について検討する。

1  三友は、控訴人に対し、本件預金の出捐者が被控訴人であることを秘し、本件預金に係る金員は自らが取引により得たものである旨申し向けた上、自己の名義で本件預金を預け入れ、自らがその預金者であるかのように振る舞ったため、控訴人は、本件預金の預入れがなされた時点で、三友が本件預金の真実の預金者であると誤信するに至ったことは、明らかである。この点に関して、なるほど、被控訴人の主張するように、本件預金の預入手続を含めて三回にわたり、被控訴人の経営する会社の準社員である木沢が、大塚らに同行して控訴人水戸支店に赴き、預金取引に同席しているのであるが、《証拠省略》によれば、木沢は、控訴人に対して自ら被控訴人の会社の者であると名乗ったり、大塚らからそのような紹介を受けたことはないのみならず、木沢自身、後記のような被控訴人の意向にそって、本件預金の出捐者が被控訴人であることが控訴人に分かってはまずいと考え、三友の関係者であるかのように装っていたものであると認められる。したがって、当時、控訴人において、三友以外に真実の預金者が存在するとは到底予測し得なかったものであり、三友が本件預金の真実の預金者であると誤信したのも無理からぬところであったと考えられる。なお、預金取引は日常的、定型的に行われるものであるため、一般に、金融機関としては、預金の預入れに当たり何びとが真実の預金者(出捐者)であるか関知しないのが実情であるが、個々の預金取引において、預金の預入れに当たり作出された外観に対する金融機関の信頼が法的保護の対象になることを否定する理由はない。

2  一方、被控訴人は、大塚から信用の仮装を目的とした預金の依頼を受け、融資が実現したときは謝礼金の支払を受ける約束の下に、三友が自らの出捐に係る金員としてその名義で預金をすることを了承し、本件預金の資金四五〇〇万円を出捐した上、その使者というべき木沢を介し、三友が控訴人に対して本件預金の真実の預金者であるかのように振る舞うのを容認していたものである。したがって、被控訴人は、三友が本件預金の真実の預金者であるかのような外観を作出するについて協力・加担したものというべきである。

3  ところで、昭和五九年三月二二日の本件預金の解約・払渡しは、預金証書と届出印鑑の提示を受けることなく、いわゆる便宜払いとして行われたものである。そして、一般に、便宜払いの手続は、預金者に正規の払渡手続を履践することができない特別の事情があり、かつ、その払渡しを受けることにつき緊急の必要性がある場合において、便宜払いを求める預金者の申出に無理からぬものがあり、これに応じないと預金者に不測の損害を生ずるおそれがあるときに、例外的に、金融機関が、預金者本人の意思を確認の上、後日、正規の手続を追完することを条件に、内部的には上司の決裁を経て、行われるものであるが、本件においても、三友の当座預金残高が不足し、同日決済予定の額面合計金三六五万円の手形・小切手二通が不渡りになるおそれがあったので、控訴人は、三友の不渡り・倒産の事態を回避するため、三友の申出に基づき、通知預金である本件預金の一部を右当座預金に振り替えるため、後日、正規の手続を追完するとの条件で、便宜払いに応じたものであって、右便宜払いには、やむを得ない緊急の必要性があったものということができる(一般に、金融機関としては、取引先の他の預金口座、とりわけ流動性の高い通知預金、普通預金の口座に手形・小切手を決済するに十分な資金がありながら、手続上の理由により当座預金への振替えを拒否し、そのため手形・小切手が不渡りになる、というような事態を発生させてならないことはいうまでもない。)。

4  しかも、本件預金の払渡しを求めるに当たり、大塚らが預金証書等を提示し得ない理由として述べたのは、これらを保管している金庫の鍵を大塚が所持したまま酒田市に出張してしまったというものであって、それ自体いささか不自然なものであることは否定し難いが(前掲証拠によれば、大塚は、実際には、その述べるように酒田市に出張していたものではないと認められる。)、他面、控訴人の担当者において直ちにこれを虚偽と判断することができたとは考えられないし、大塚らが右のような理由により預金証書等を提示することなく本件預金の払渡しを求めたからといって、三友が本件預金の真実の預金者であると誤信していた控訴人の担当者石崎においてこの点に疑念を抱くのが当然であったということもできない。そして、払渡しの申出を受けた右石崎としては、大塚らとは面識があったことから、本件預金の払渡しの申出が真実三友からなされたものであることを確認し、かつ、大塚らの述べるとおり、三友の当座預金に当日決済予定の手形・小切手を決済するに足りる残高がなく、本件預金の一部を右当座預金に振り替える必要があることを調査・確認した上で、本件預金の払渡しに応じたものであるから、それ以上特段の調査の措置を講じなかったとしても、控訴人に金融機関として当然要求されるべき注意義務の懈怠があったものということはできない。

5  以上によれば、控訴人は本件預金四五〇〇万円の真実の預金者が三友であると誤信しており、かつ、そう信じさせるにつき被控訴人の積極的な加工があった反面、控訴人には特に責められるべき過失がなかったものであるから、控訴人のなした本件預金の払渡しは、民法四七八条及び同法九四条二項の規定により、これを被控訴人に対して主張し得るものと解するのが相当である。

三  してみると、被控訴人の控訴人に対する本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却すべきであり、これと異なる原判決は失当であって、本件控訴は理由がある。

よって、原判決中控訴人敗訴の部分を取り消した上、右部分についての被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉野衛 裁判官 小林克巳 河邉義典)

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